その日思い出した。勤め人に真なる自由はないことを
どうもナナミンです。
知り合いがみてることは知ってますが、関係なく文字をうっていきます。
勤め人はクソだ、辞める。
そんなことは誰にでも言えますよね。
言うことは誰にでも出来る。
じゃあ辞めるために何をしてきたのか、しているのか、していくのか。
過去、現在、未来に対して具体的な言葉が出てこないのならそんなの辞めて、周りの靴舐め回してればよいのです。
そしたら、そこそこの女とセックスして、そこそこの家建てて、そこそこの人生を歩むことができます。
僕はコンプレックスの塊のような男です。
そんな僕はコンプレックスを解消するために今の職種につきました。
そしたらそこは理不尽の塊のような世界。
怒る、叱る、あざ笑う。
そんな世界でした。
初出勤の日に上司に怒鳴られ、次の勤務中には3時間食堂で説教を受けたのを覚えてます。
怒られない日はなく、何をしても怒られる。
そんな環境も長くは続かなかったのですが、訳あって地元の田舎に帰ることに。
同じ職種につきまして
出勤するとそこは平和な世界。
穏やかな日々。
でも、田舎故に高校の部活のような部分もありましたね。
スポーツが出来るやつが偉い。
スポーツをやってるやつが偉い。
まぁ自己重要感自己肯定感というものを勘違いしてる人がたくさん。
人のプライベートをずかずかと。
その頃には藤沢数希先生の金融日記を読み漁っていたので、今の職業には興味が薄くなり、聖帝のブログやボイシーを穴があくまで漁った日々でした。
もう、そうしたら変態の完成ですわ。
話が合わんこと合わんこと。
自己重要感なんてくれてやると思いながらも、自分のプライベートに踏み込まれるのは嫌い。
自分が好きな相手ならええよ。
それと、距離感を分かってくださる方もええ。
でも自分の娯楽のために、自分のことしか考えてない、行動はクソだ。
自分も反省だ。
やられて嫌なことはしない。
もしかしたら、自分も同じことをしてたかもしれんから。
興味ない人に踏み込まれても最悪ええんだけど、それが期待値のマイナスになるものはだめだ。
隠れキリシタンに対して思想を覗き見るようなことだから。
お互いに平和にいこうぜ。
交わらない方が幸せな人種っているんだよ。
それは後天的なものではなく、遺伝である程度決まっちゃってんだからさ。
繁殖の話よ。
自己遺伝子の複製の期待値を高めるために、どう行動するのか。
自己を高めるのか、周りの足を引っ張るのか。
聖帝ラジオの最新話聞いたほうがよいよ。
これは日記のようなもの。
いつか黒歴史になる。